理系文系話 と 学校の教育
なんか勘違いしてる理系()がいる.正直きもい.
もちろん受験戦争でしっかりと勉強をして
研究意欲もあってその分野に絶え間ない好奇心があって・・・
っていう人はそんなに文系叩きをしないように思う.
通っている大学の特性からしてそうじゃない人が一定数いる.
彼らは大した努力も成果もないくせにイメージだけで文系を貶す.
もちろん文系の中にいわゆるウェーイwwwな人もいる.
実際に就活で何十社受けてどうのって話も聞いたり,
授業や課題の内容見たりして,がっかりすることもあった.
僕の知る限りのウェーイ系は,
自分らの過ごし方に問題があることをある程度自覚している.
それに比べてどうなんだろうね,理系()達は.
歴史とか役に立たないとか大真面目に語りだす奴もいれば,
平気な顔で文系すべて貶す奴もいるし,
「文系は感情論.俺ら理系はあくまで客観的.(ドヤ」
とか言い出しちゃう奴もいる.
見てるこちらが恥ずかしいので一生世の中に出てほしくない人達.
はっきり言って考えがすご~く未熟に感じられる.
学校の勉強は役に立たない
これを言う理系はまずいないと思っていたけど,
さっきの理系()はまさにこれを言い出す.
アホだ.正直にドアホだ.
理系文系体育系にかかわらずバカだ.ダメだ.
「学校の勉強すら必要としない地位」に落ち着いただけのくせに,
教育を批判するんだ.
あらゆる学問の入り口を紹介して,それぞれの勉強の仕方を教えてくれて,隙さえあればその学問の利用される場面や楽しみ方も示してくれる.
それに目を向けず目先の楽を獲得するための大義名分,
「勉強が全てじゃない」
を真に受ける人が結構いる.ぼくは悲しい.
この人達は中学生くらいと変わらないんだなって.
理系文系の話に戻すけど,
理系,特に研究となると説明責任が発生するわけ.
説明する相手はド素人で,便利なテクニカルタームは使えないの.
語彙力は言葉による表現の解像度みたいなもので,
高ければ高いほど正しく伝えられるし,その逆もある.
技術の必要性を訴えるのにその技術の根幹となる歴史を振り返ることが有効だったり,その土地に根付いた気候や風土,あるいは文化がキーとなる技術を生み出すことが求められていたり・・・
科目に苦手・面倒のレッテルを貼って逃げた人間は,それほどに視野が狭くなるんじゃないかって本気で思う.
「先生がきらいだった」「授業が退屈だった」様々な言い訳を思いついては逃げるけど,それで視野が狭まるのは自分なのだ.言い訳したところで仕方ない.
ここまで読むと居心地悪い人も多いのでは?
ぼくもかなり悪い.
反省してるけど今更勉強する気にもなれない.
所詮そこまでの人間なのです.
それでも普通に生きていける.
上を見て僻むこともなければ,誰かのせいにもしない.
ただ政治経済や歴史をもっとできたらよかったなぁと強く思う.
美術館や博物館などに足を運んだ時に,
もっと深く楽しめるんだろうなぁ~って…
(あと文章もうまく書けるんだろうなぁ~って…)
ここまでグダグダと書いた理由とは
きっかけは大学院の教養科目の授業.
授業内容は科学技術に関する英語で書かれた記事を読むこと.
その授業の中で担当の胡散臭い非常勤講師が意見を聞いて回る.
記事の内容は,出土した純度の高い鉛でできた文化財を溶かして
宇宙解明に携わる機器のシールドに使うという内容.
実は,この記事自体とんでもないガバガバ理論で一部マスメディア顔負けの印象操作とあからさまな理系贔屓でため息しか出てこない.
一応文章としては文系vs.理系の形をなしていて,それについての一人の発言がもう聞いてもいられないものだった.
「まァ,自分は理系なので理系を応援したいですねー」
「過去のものを大切にするよりは~・・・」
「正直,歴史とかあんま好きじゃないんでぇ」
うん,知性のかけらもない.
これで「文系は感情論」なんて言われたらたまらないよね.
おまけ程度に
学校の勉強に対して色んな捉え方があるけど,
僕はこれを凡人救済策だと思ってる.
本当に頭のいい人は別に勉強だけで勝ち取るルートに乗らなくたってうまくいくし,身体能力・様々なセンス・コミュ力が天賦の才としてあって,それらがうまいこと使える場所があるならそれに進んで必要に応じて勉強すればいい.
もちろん,裕福な家庭で育った人間ほど教育に恵まれる機会が多いだろうけど,学校の勉強に限ってしまえばやれと言われたことを愚直にやればそこそこうまくやれる.
しかもその中で自分の興味そそるもの,自分に合ってると感じるものを見つけられるチャンスにもなる.
これを利用しない手はないと思うのになぁ~~